2010年 04月 01日
モロッコ人の結婚
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先日久しぶりにスーク内の友達と話をしたところ、なんとあと2ヶ月くらいで結婚するんだ、とのこと。
「へー!おめでとう!で、どんな人なの?」と、お土産屋さんという仕事柄いろいろな女性と出会う機会のあったこの青年(…といってももう30)に聞いてみると、「いやぁ、やっぱりそろそろ結婚したいなぁと思ってさ。そしたらちょうどお母さんが、いい子がいるって言うから会う事にしたんだ。家族同士で会いに行ってね。挨拶した時にちらっと顔を見ただけで、彼女にはその時しか会ってないから今道ですれ違っても分からないと思うよ」とのこと。
一時はガイジンと結婚しようかなと思っていた事もあるような彼だったので、かなりビックリ。まさかそんな伝統的な方法で結婚を決めちゃうとは!
「いやぁ、確かに(女性との出会いにおいて)僕もいろいろあったよ。こんな仕事だからさ。でも…思ったんだ。やっぱりそういうのはいやだって。結婚だからね。家族も“この人がいい”って思ってくれる人と、お互いの家族を知った上で、落ち着いてやって行きたい。でも彼女の意思がどうかなという事は確認しなくちゃと思ったから、さすがに電話番号は聞いて、電話してみたよ。本当に結婚したいですか?って。そしたら、彼女も結婚したいっていう事だったから決めたんだ。」
とのこと。
これを聞いて思い出すのは、映画『紅の豚』でカーチスが言っていた「おフクロが言ってたぜ。(結婚は)惚れるより慣れだってさ」(ウロ覚え)という台詞。
かなり多くのモロッコ人にとって、結婚とはきっとおそらくまだまだそういうものなのだろうなぁと思うと同時に、彼等的には結婚の決め手なんていうものは、きっとこの台詞で言う“慣れ”に比べれば全く重要でなく、相手の性格とか顔とか習慣とかも、当然結婚後に“慣れればいい”ものであって、最初から選り好みしてどうこう言う問題じゃないんだな、と妙に納得してみたりして。
そして結局その「別に誰でもいい」という感じは、5、6人のガイジンおヨメ候補の中から“一番最初にボクの事をモロッコから連れ出してくれる” or “モロッコでもやって行けるだけのお金を持ってきて結婚してくれる女性 ”というようなあからさまな条件以外は気にせずに結婚する事に何のためらいもない、、、という事につながっているという訳だよなぁ、と、そこでまたいろいろなケッコンの物語を思い出してみてしまったりする私なのでした。
おそらく「これからお互いに慣れていきましょうね」という気持ちを持って結婚というスタートを迎えるモロッコ人。
ガイジンの場合、「“私”との結婚」という所にもうちょっと特別な意味を持っていちゃったりする事から、なんとなく気持ちのすれ違いが出て来てしまうのかなぁ。
最近「モロッコ人のカレと結婚準備中です♪」という日本人女性がさらに増えている事を感じる今日このごろなので、なんとなくメモしてみました。
いやホント、結婚って、良くも悪くも、そしていろいろなニュアンスからも「慣れ」というのは非常に大きなキーワードだと思います。ハイ。
否定するでも、受け入れるでも、協議するでもなく、まず「慣れる」。
そこからが始まり!
…などとエラソーに語りつつ、「そしたら私など、まだスタートラインにもいないじゃないか!」とか一人ツッコんでしまった夜でした(笑)
「へー!おめでとう!で、どんな人なの?」と、お土産屋さんという仕事柄いろいろな女性と出会う機会のあったこの青年(…といってももう30)に聞いてみると、「いやぁ、やっぱりそろそろ結婚したいなぁと思ってさ。そしたらちょうどお母さんが、いい子がいるって言うから会う事にしたんだ。家族同士で会いに行ってね。挨拶した時にちらっと顔を見ただけで、彼女にはその時しか会ってないから今道ですれ違っても分からないと思うよ」とのこと。
一時はガイジンと結婚しようかなと思っていた事もあるような彼だったので、かなりビックリ。まさかそんな伝統的な方法で結婚を決めちゃうとは!
「いやぁ、確かに(女性との出会いにおいて)僕もいろいろあったよ。こんな仕事だからさ。でも…思ったんだ。やっぱりそういうのはいやだって。結婚だからね。家族も“この人がいい”って思ってくれる人と、お互いの家族を知った上で、落ち着いてやって行きたい。でも彼女の意思がどうかなという事は確認しなくちゃと思ったから、さすがに電話番号は聞いて、電話してみたよ。本当に結婚したいですか?って。そしたら、彼女も結婚したいっていう事だったから決めたんだ。」
とのこと。
これを聞いて思い出すのは、映画『紅の豚』でカーチスが言っていた「おフクロが言ってたぜ。(結婚は)惚れるより慣れだってさ」(ウロ覚え)という台詞。
かなり多くのモロッコ人にとって、結婚とはきっとおそらくまだまだそういうものなのだろうなぁと思うと同時に、彼等的には結婚の決め手なんていうものは、きっとこの台詞で言う“慣れ”に比べれば全く重要でなく、相手の性格とか顔とか習慣とかも、当然結婚後に“慣れればいい”ものであって、最初から選り好みしてどうこう言う問題じゃないんだな、と妙に納得してみたりして。
そして結局その「別に誰でもいい」という感じは、5、6人のガイジンおヨメ候補の中から“一番最初にボクの事をモロッコから連れ出してくれる” or “モロッコでもやって行けるだけのお金を持ってきて結婚してくれる女性 ”というようなあからさまな条件以外は気にせずに結婚する事に何のためらいもない、、、という事につながっているという訳だよなぁ、と、そこでまたいろいろなケッコンの物語を思い出してみてしまったりする私なのでした。
おそらく「これからお互いに慣れていきましょうね」という気持ちを持って結婚というスタートを迎えるモロッコ人。
ガイジンの場合、「“私”との結婚」という所にもうちょっと特別な意味を持っていちゃったりする事から、なんとなく気持ちのすれ違いが出て来てしまうのかなぁ。
最近「モロッコ人のカレと結婚準備中です♪」という日本人女性がさらに増えている事を感じる今日このごろなので、なんとなくメモしてみました。
いやホント、結婚って、良くも悪くも、そしていろいろなニュアンスからも「慣れ」というのは非常に大きなキーワードだと思います。ハイ。
否定するでも、受け入れるでも、協議するでもなく、まず「慣れる」。
そこからが始まり!
…などとエラソーに語りつつ、「そしたら私など、まだスタートラインにもいないじゃないか!」とか一人ツッコんでしまった夜でした(笑)
by mayoikata
| 2010-04-01 09:12
| 日常雑感