2009年 06月 04日
お義母さんのいたわり
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日本に到着してまだ1週間程度だというのに、早くも帰りたくてしょうがありません(苦笑)
ケヤキやイチョウのまぶしい緑や土のにおい、横浜の海風のにおいとか、それはそれでとても気持ちがいいですし、お食事もとてもおいしくてありがたいのですけれども。。。
うちの母親に、「あなたのブログなんかモロッコの文句ばっかりじゃない。見る人が見たら腹が立つわよ」と言われたりして「この愛が分からない人は別に見てくれなくていーのよ(笑)」なんて返答したものの、一体私をこんなにも帰りたくさせるのはモロッコのナニ?!
まさか毎回うざったい警察のチェックとか、出かけるたびに言う事の違う役所との攻防戦とか、言い訳ばっかりで反省のかけらも見えないモロッコ人との不毛なやりとり?!
…はい。それでもいいから帰りたいです(爆笑)
それぞれみんなめっちゃくちゃな理由だったりするものの、どんな人でも一生懸命生きようとしているエネルギーに溢れている国で、「私も負けておれんぞ!」という気合いを充電しながら生活できる毎日に帰りたいです(泣)
さて、そんな私が帰国する2週間くらい前だったでしょうか。
山奥のうちの旦那のお母さんと電話で話をしたらしい旦那がにこにこ笑っています。
うちの義母さんはそれはそれは典型的なというか、これまたベルベル人の田舎のおばさん(おばあさん?)エッセンスを凝縮したような人。
普段かけてくる電話での話題はいつも自分の「牛」の話。
牛が大きくなっただとか、「牛の」体調が悪いとか、今度子牛を売りに行って、もっと大きな牛を飼いたいとか。雪が降って寒いというから何を言うかと思えば、牛が凍えるのではないかと心配で、、という電話だったり(笑)
自分のお葬式の話をしたかと思えば、お客様にお出しするクスクスには、どこどこにしまってある手作りの“古い”スムン(牛の発酵バター)できちんと味付けをするようにとことづけたり。
理由はといえば、「おたくのお母さんは良いスムンも残さなかったとか言われたらいやだからね」とのこと(笑)
とにかく自慢の牛が生み出した、自慢の牛乳とバターに囲まれている事が幸せの基準、といったような感じです。
そのお母さんが電話してきたというので、今度はまた牛がどうかしたの(笑)?と聞いたら、「いや、今度は牛じゃなくてね(笑)」とのこと。
うちの旦那はわりと最近になってからやっと子供が生まれるんだという事を報告したらしいのですが、そうしたら既にお祝いの羊は確保した、という事と、うちの旦那に、「重いもの持たせたらだめよ。歩く時には、きちんと手を取ってあげなさい。大変なんだから!」と、夫としてどうあるべき、みたいな指導が行われたそうなのです。
冬にブランケットをお土産に持参しても、「牛にかけてあげる」とか言い出す始末なくらい、牛の事しか心配していないように見えるお義母さん。
20m以上ある深さの井戸から毎日水を汲んでいる義母さん。
11人の子供を田舎で生んで育てたお義母さん。
きっと自分が11人の子供を身ごもっていた時には、重い水だってやっぱり自分で汲んでいたのだろうし、薪拾いも農作業も牛の世話もきっと休んだりしていなかっただろうお義母さん。
放牧で家にいなかった旦那さん(今は亡きお義父さん)に、手を取ってもらった事なんてあったんだろうかなと思うと、せめて自分の息子にはそういう事もきちんとしてもらおうではないかと思ったのであろうその優しさに、やっぱりホロリときてしまいました。
たかが2人目で「くー、10年ぶりの出産はつらい!お腹が重たい!苦しいよー」と根を上げている私に、旦那も一言。「僕たちはこんなにもお母さんに苦労をかけて生まれて来たんだね。本当に頭が上がらないよ。天国はお母さんの足下にあるって言うけれども、その通りだ。本当にどうもありがとう…」と、そんなお義母さんと、私に向かってコメント。
先進国からやってきた冷たい合理主義なオンナとしては「そんなの両親の合意の元の結論に過ぎないわけでしょ?苦労かけたなんて、そんなの自分たちで決めて作る事にしたんだから、責任持って当たり前」くらいにしか思っていなかったのですが、この考え方の違いが、社会全体に蔓延している空気の根本的な違いなのでしょうね。
貧しい田舎で暮らしていた(暮らしている)彼等の方が、どれだけ豊かな気持ちを持って生きているか…出産やら病気やらで、お医者様も足りずに多くの命が失われて行く国に生きている彼等の方が、どれだけ命の尊さとその運命を受け入れる事に敏感でいられるか…
なんでもたくさん有りすぎると、有る事の有り難さにも、やがて気づかなくなっていってしまうんでしょうか。もしかして、こんなにモロッコに帰りたいのは、またどんどん自分が鈍くなってしまうかもしれない事が怖いからなのかもしれないなぁとふと思いました。
貧しい国や豊かな国がある事、同じ国の中にも豊かさと貧しさがある事は残念と考える事もできますが、その違いが有るからこそ、私たちは何かを振り返るチャンスを得る事ができるのでしょうね。
生まれてしまった違いはそう簡単に消えはしないでしょうけれども、それぞれの属する立場から、その違いの中にこそ学び、前進して行くための知恵を見つける柔軟性を持ち続けたいですね。
ケヤキやイチョウのまぶしい緑や土のにおい、横浜の海風のにおいとか、それはそれでとても気持ちがいいですし、お食事もとてもおいしくてありがたいのですけれども。。。
うちの母親に、「あなたのブログなんかモロッコの文句ばっかりじゃない。見る人が見たら腹が立つわよ」と言われたりして「この愛が分からない人は別に見てくれなくていーのよ(笑)」なんて返答したものの、一体私をこんなにも帰りたくさせるのはモロッコのナニ?!
まさか毎回うざったい警察のチェックとか、出かけるたびに言う事の違う役所との攻防戦とか、言い訳ばっかりで反省のかけらも見えないモロッコ人との不毛なやりとり?!
…はい。それでもいいから帰りたいです(爆笑)
それぞれみんなめっちゃくちゃな理由だったりするものの、どんな人でも一生懸命生きようとしているエネルギーに溢れている国で、「私も負けておれんぞ!」という気合いを充電しながら生活できる毎日に帰りたいです(泣)
さて、そんな私が帰国する2週間くらい前だったでしょうか。
山奥のうちの旦那のお母さんと電話で話をしたらしい旦那がにこにこ笑っています。
うちの義母さんはそれはそれは典型的なというか、これまたベルベル人の田舎のおばさん(おばあさん?)エッセンスを凝縮したような人。
普段かけてくる電話での話題はいつも自分の「牛」の話。
牛が大きくなっただとか、「牛の」体調が悪いとか、今度子牛を売りに行って、もっと大きな牛を飼いたいとか。雪が降って寒いというから何を言うかと思えば、牛が凍えるのではないかと心配で、、という電話だったり(笑)
自分のお葬式の話をしたかと思えば、お客様にお出しするクスクスには、どこどこにしまってある手作りの“古い”スムン(牛の発酵バター)できちんと味付けをするようにとことづけたり。
理由はといえば、「おたくのお母さんは良いスムンも残さなかったとか言われたらいやだからね」とのこと(笑)
とにかく自慢の牛が生み出した、自慢の牛乳とバターに囲まれている事が幸せの基準、といったような感じです。
そのお母さんが電話してきたというので、今度はまた牛がどうかしたの(笑)?と聞いたら、「いや、今度は牛じゃなくてね(笑)」とのこと。
うちの旦那はわりと最近になってからやっと子供が生まれるんだという事を報告したらしいのですが、そうしたら既にお祝いの羊は確保した、という事と、うちの旦那に、「重いもの持たせたらだめよ。歩く時には、きちんと手を取ってあげなさい。大変なんだから!」と、夫としてどうあるべき、みたいな指導が行われたそうなのです。
冬にブランケットをお土産に持参しても、「牛にかけてあげる」とか言い出す始末なくらい、牛の事しか心配していないように見えるお義母さん。
20m以上ある深さの井戸から毎日水を汲んでいる義母さん。
11人の子供を田舎で生んで育てたお義母さん。
きっと自分が11人の子供を身ごもっていた時には、重い水だってやっぱり自分で汲んでいたのだろうし、薪拾いも農作業も牛の世話もきっと休んだりしていなかっただろうお義母さん。
放牧で家にいなかった旦那さん(今は亡きお義父さん)に、手を取ってもらった事なんてあったんだろうかなと思うと、せめて自分の息子にはそういう事もきちんとしてもらおうではないかと思ったのであろうその優しさに、やっぱりホロリときてしまいました。
たかが2人目で「くー、10年ぶりの出産はつらい!お腹が重たい!苦しいよー」と根を上げている私に、旦那も一言。「僕たちはこんなにもお母さんに苦労をかけて生まれて来たんだね。本当に頭が上がらないよ。天国はお母さんの足下にあるって言うけれども、その通りだ。本当にどうもありがとう…」と、そんなお義母さんと、私に向かってコメント。
先進国からやってきた冷たい合理主義なオンナとしては「そんなの両親の合意の元の結論に過ぎないわけでしょ?苦労かけたなんて、そんなの自分たちで決めて作る事にしたんだから、責任持って当たり前」くらいにしか思っていなかったのですが、この考え方の違いが、社会全体に蔓延している空気の根本的な違いなのでしょうね。
貧しい田舎で暮らしていた(暮らしている)彼等の方が、どれだけ豊かな気持ちを持って生きているか…出産やら病気やらで、お医者様も足りずに多くの命が失われて行く国に生きている彼等の方が、どれだけ命の尊さとその運命を受け入れる事に敏感でいられるか…
なんでもたくさん有りすぎると、有る事の有り難さにも、やがて気づかなくなっていってしまうんでしょうか。もしかして、こんなにモロッコに帰りたいのは、またどんどん自分が鈍くなってしまうかもしれない事が怖いからなのかもしれないなぁとふと思いました。
貧しい国や豊かな国がある事、同じ国の中にも豊かさと貧しさがある事は残念と考える事もできますが、その違いが有るからこそ、私たちは何かを振り返るチャンスを得る事ができるのでしょうね。
生まれてしまった違いはそう簡単に消えはしないでしょうけれども、それぞれの属する立場から、その違いの中にこそ学び、前進して行くための知恵を見つける柔軟性を持ち続けたいですね。
by mayoikata
| 2009-06-04 23:20
| 出産&育児生活